引っ越しの信用性
実際に減産せざるをえない状況にあるなか、自動車メーカーの間では、これまで派遣労働者にばかり頼りすぎたという反省が生まれているように思われる。
また、知人から聞いた話では、トヨタ九州では減産のために、一時期、週のうちに何回か休むという事態があったようだが、そこで浮いた人月約2000名を、周辺の地方自治体にボランティアとして送り出しているという。
こういうやり方は非常に合理的だと思う。
工場の生産が上がらなければ、企業は地元自治体に法人税を払えない。
それでは自治体に迷惑をかけるというので、当然、会社の持ち出しになるが、しばらく休まざるをえない従業員を、地方自治体のために働かせているの自動車工場で何があったのか?だ。
減産による赤字で法人税の支払いが例年に比べて半分以下になってしまう、だからその分は、我々の従業員にボランティアをやらせるので、しばらくはこれで我慢してほしいという意味である。
これは地域社会との連携という点でもいいことだと思われる。
しかし、自前でつくった派遣会社はもうビジネスとしては成り立たない。
今年に入って、トヨタが「5月以降は増産する」といった記事も新聞に出たが、私の考えでは、日本の自動車メーカーは今後、今回の教訓を踏まえて、人材派遣を増やすことにはセーブをかけるだろうと思われる。
加えて、人材派遣に関する法律も、これからは製造業に対して、かなり厳しい内容に改正されることも予想され、そうなれば、自動車メーカーとしては派遣労働者をあてにするよりも、ちゃんと自前の、より高度な多能工を育てなければならないという発想に切り替わるだろう。
例えば、これから内外を問わず需要が増すだろう環境技術、つまりハイブリッド・カーひとつとってみても、非常に高度な生産技術が要求される。
製品を安定供給するためには、優秀な多能工の力が必要になるのである。
自動車販売の現場で何が起こったのか?フランチャイズ・システムの原点世紀を超えた大転換の時代に直面して、長年フランチャイズ・ディーラー・システムで進んできた自動車の販売や流通のシステムにも、大きな変化が起ころうとしている。
元来、フランチャイズ・アィーラー・システムは、アメリカで自動車メーカーが本格的に大量販売を始めた時、それに対応した販売ネットワークとして始まった。
そして、このシステムは他の先進国、とくに欧州や日本にも採用されて今日に至っているが、その運営の仕方はアメリカと日本や欧州とでは、いろいろと対照的な点がある。
そもそも自動車販売は、最初は自動車メーカーが直営の販売支店を経営するやり方に始まり、大量生産が進むにつれて、ディストリビューターという卸売業者経由で、それぞれのテリトリーにある独立のディーラーという小売店が、これを担当するようになった。
それから、やがてディストリビューターの卸機能が排除され、メーカーがその機能を持つに至り、自動車メーカーはディーラーと直接契約するフランチャイズ・システムを、ほぼ全面的に採用するようになった。
フランチャイズ・ディーラーの方式は、初めフォードが1910年代に導入し、やがてGMが追う形でこの方式を全面的に採用するようになった。
従ってフランチャイズ方式は、1920年代に、今のような形で、その自動車販売の車種やブランドごとにチャネル(流通経路)が整備され、今日に至っている。
その間フランチャイズ方式は、そのフランチャイズ契約の内容の改定をめぐって、いろいろな形で変遷を遂げてきた。
改定の大きな流れは、地域ごとに細かく分類された自動車販売のディーラーの取引条件を契約にどう織り込むかということと、フランチャイズ契約で保証された商権をどうやって保護するかということに関連している。
もともと、アメリカにおけるフランチャイズ・システムでは、自動車メーカーが優越的地位にあった。
ディーラーとの取引条件、とくに年間の販売割当と、そこから弾きだされたディーラーの引き取り責任、つまりどれだけの在庫をもつかということや、ディーラーの引き取り価格(仕切り価格)と呼ばれる卸売価格、顧客への小売り価格などの条件は、当初、メーカーの都合で決められることが多かった。
だから、メーカーのいうことを聞かないディーラーは、その販売権を取り上げられたり、メーカーの一方的な都合で契約内容を改定され、それに従わなければ、商権を取り上げられることも珍しくなかった。
従って、初期のフランチャイズ方式では、今でいうメーカーの優越的地位の乱用はごく当たり前のことであった。
ところが、ディーラーの間で、フランチャイズ契約の内容を両者対等のものに改めるベ自動車販売の現場で何が起こったのか?きだとする意見が強まり、メーカーの一存で決まっていた契約内容を、ディーラーにも納得のいくものに変えようとする動きが起こってくる。
そのため、ディーラーは業界団体NADAを作って、州議会や連邦議会に働きかけて世論の啓発に努めた。
その結果、商権保護に関しては、ほぼ完壁に近いものが実現して今日に至っているが、その長い歴史の中で象徴的な出来事が、1925年、GMのA・P・スローンによって進められたフランチャイズ契約の大幅改定であり、もう1つは1958年に連邦議会で決まった「誠実法」というディーラーの権利保護法である。
販売の教科書となったGMフランチャイズ方式まず1925年のディーラー契約の改定だが、これは自動車のフランチャイズ販売の歴史とは一線を画する出来事だった。
というのは、それまでの自動車販売の世界では、ディーラーの経営状況をメーカーはほとんど知らず、ディーラーを儲けさせて自分も繁栄するということを真剣に考えたことはなかった。
要するにディーラーは、押し込み販売するアウトレットにすぎず、大量販売のパケロと考えられ、どういう経営をやっているか、どういう売り方をしているかは、それぞれのディーラーが自分の裁量でやることになっていて、タ2メーカーもきちんと実情を把握していなかった。
1925年、GMの社長になったA・P・スローンは、バラバラの寄合所帯だったGMで、統一的戦略の確立と事業部制による組織改革に取り組みながら、GMディーラーの実情を視察するために特別列車で全国行脚に出かけ、ディーラーの経営状況をつぶさに観察した。
その中でスローンは、ディーラーの経営のやり方が、あまりにもテンデンバラバラで、しかもメーカーがディーラーの経営実態を知らなすぎることを痛感した。
とくにメーカーは、販売目標を割り当てて、単にたくさんの台数を売れ売れというだけで、ディーラーの在庫がどれぐらいあるか、ディーラーの経営状況、とくに会計処理がどうなっているか、セールスマンの訓練や顧客との接触の仕方がどうなっているかについては、ほとんど知らなかった。
この状態を放置していれば、いつまでたってもディーラーは、単なる大量販売のパケロとしてメーカーの言い値で草を引き取るだけの存在で、少々努力しても儲からない商売に終始することになる。
スローンは、この状態を何とか改革し、ディーラー、メーカーがともに繁栄できるシステムを作ろうと、1925年にフランチャイズ契約の改定に乗り出したのである。
この25年の改定では、ディーラーに対してのテリトリーの割り当てや販売目標の設定を自動車販売の現場で何が起こったのが?できるだけ公平でオープンなものにし、統一した会計システムの採用を義務づけ、ディーラー在庫の状況の10日ごとの報告、セールスマン教育のメーカーによる支援、ディーラー・ショールームやカンパンのデザインのチャネルごとの統二セールスマン教育訓練学校の創設など、メーカーによるディーラー支援を明確にした。
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